<   2011年 02月 ( 5 )   > この月の画像一覧

マゴソOB・OGミーティング

石原輝です

一昨日(2月20日)マゴソスクールで、マゴソOBOGクラブミーティングが行われました。
このクラブはマゴソスクール卒業生で日本の様々な団体や個人から学費支援を受けて高校に通っている子供達が中心のクラブです。

ケニアの高校は3学期制で、今は1学期の真っ只中ですが4日間だけのミッドタームホリディがあります。
その4日間に、実家のあるキベラに帰省した生徒達でミーティングを行いました。

2月3日に1年生になったばかりの子たちも全員帰省しています。
キベラの長屋生活から学校の寄宿舎生活へと、環境の変化は相当な物ですが、夢にまで見た高校生となった彼らには怖いものなんて無しでしょう。

今回のミーティングは11時から。早川千晶さんが日本での公演の為お休みでしたが、アマニから私と理事長、そしてマゴソの長年のお友達であるミュージシャンの大西匡哉君ファミリー(匡哉君と奥さんと娘)、マゴソスタッフと高校生達で行われました。

ミーティングのの主な議題は
①入学したて、新1年生からの報告
②その他2・3・4年生からの報告
③マゴソOBOG役員選挙(会長・副会長・秘書・秘書補佐)
でした

新1年生はまだ学校に入学して2週間程度ですので学校に慣れるのがやっと。寄宿舎で食べるご飯の味が家の味とは違う事に戸惑っているようでした(部族によって味付けや料理の仕方も違う)。
でも3食毎日食べられますから、文句はありません。皆元気でした。
b0167228_20131617.jpg


ミーティング風景

2・3・4年生はもう学校生活には慣れた物です。
オルカジアドハイスクールに通う子供たちの水不足問題は永遠のテーマ。
少ない水を全校生徒で分けて使うのですが、4年生に優先権があるのです。
1年生は水を確保する為にあの手この手で頑張っていました。

さて、この日の重要議題、マゴソOBOGクラブの役員選挙は非常に盛り上がりました。
昨年の会長はオドンゴ君でした。彼は今年も立候補しています。

最上級生の4年生は忙しいですから役員は1~3年生で組織する事になります。
昨年までの会長オドンゴ君、今年は3年生です。彼は明るくまじめなキャラクターで、ツアーでマゴソを訪れた人たちの記憶にもある事でしょう。

会長選挙は立候補者4名で選挙は厳正に行われました。
先生方やスタッフには投票権はありませんが、不正のないように目を光らせます(笑)

結果は31表中18票を集めて見事オドンゴ君の再選でした!
彼にとって、この再選は昨年の自分の活躍が認められた瞬間であり、皆の期待を心から感じた瞬間だったのではないでしょうか。
結果が発表された時には思わずガッツボーズ!

副会長には昨年からの再選で、今回は残念ながら親戚の不幸でミーティングに参加できなかった3年生のシンシアが、秘書には3年生のスティーブン、そして秘書補佐には何と新1年生のノラが選ばれました。

b0167228_20153572.jpg

右から新会長オドンゴ、秘書スティーブン、秘書補佐ノラ

2年生からの選出が無かったのは少し残念ですが、来年度はフレッシュな役員になりそうです。

今回のミーティングには31名が出席しました。学校毎にミッドタームの休みが違うので参加できなかった生徒がいましたが、4月の春休みには顔をを出してくれるでしょう。
b0167228_20184556.jpg


マゴソの校庭で。私の隣にいる小さな赤ちゃんは大西匡哉君の愛娘、葉月ちゃん!

b0167228_20171186.jpg


おまけ ミーティング後に盛り上がってアクロバットをする生徒達

Posted by 石原 輝

---------------------------------------------------------

オドンゴ君のプロフィール(写真撮影:両角弘夫)
b0167228_20225126.jpg
Odongo Collins Owino
1992年2月生まれ
父 キベラの夜警
母 無職
小1からキベラ在住。
死んだ叔父の子どもたちも同居している。
子沢山の家。
オドンゴはマゴソOBOGクラブの現会長。

ノラのプロフィール(ノラの家族:前列父・弟・ 後列姉ナンシー・ノラ 写真撮影:両角弘夫)b0167228_2034610.jpg

ノラ
Okelo Norah Adhiambo
14歳
将来の夢はジャーナリスト
マゴソOBOGクラブ一期生でF4のナンシーが姉。
父 キベラ在住。日雇い
母 田舎在住
ノラは幼稚園のときからのマゴソ生徒。
すべてのCD制作の主要メンバーのひとりで、ソロも歌っている。
KCPE獲得点数は280点。

ナンシー
Okello Nancy Alooh
1993年生まれ
キベラ生まれ
父 日雇い
母 田舎在住
1.姉 田舎
2.本人
3.妹(ノラ)
4.弟
5.弟
マゴソ設立当初からの生徒。
[PR]
by moro_kyoiku_kikin | 2011-02-22 20:44 | ナイロビ便り

カテンベからの手紙

皆様、こんにちは。

皆様から多大なご支援をいただき、2006年10月26日に腎臓移植手術を受けて一命を取りとめたミリティーニ村出身のカテンベ君が、今年、セカンダリースクールに進学しました。

手術後、おかげさまで体調はとても順調で、徐々に体力もついていき、遅れていた勉強を取り戻すために彼は必死で勉強をしてきました。

最近のカテンベは、本当に(以前にも増して)真剣です。
やはり、成長すると共に、自分が今こうして生きていられることに対しての様々な自覚や将来への心構えが出てきたのだと思います。

セカンダリースクールに入学して、そんな気持ちや責任感をあらたにしているようです。
いつも彼が言っているのは、自分ひとりの命ではないのだということです。
もしも自分ひとりだったら、2006年に彼はすでにこの世を去っていたことでしょう。
今こうして生きていられることへの感謝と、応援してくださっているたくさんの方々への感謝、そして、未来に向けての目標や夢や責任感を、最近の彼からはますますひしひしと感じています。

そのカテンベが、セカンダリースクール入学を期に、お世話になった皆様へ手紙を書きたいと言いました。

それをカテンベの兄である大西匡哉君が翻訳し、大西匡哉君自身の文章もつけて、彼のMIXIの日記にUPしました。

これからカテンベが本当の意味で、自分自身の力で生きることができるようになり、そしてさらに、困難な状況にある多くの子どもたちを助けることができるようになるまでには、まだまだ時間がかかり、カテンベ自身の努力も、彼の教育や医療を支えるための支援も必要となるのですが、こうして支援していただいているという事実を、今年20歳になるカテンベが、いかに重要なこととしてとらえていて、その自覚をあらたにしているかということが、この手紙から伝わってきます。

どうか皆さん、カテンベが一人前になれるときまで、引き続き応援していっていただけると、非常にありがたく思います。
私自身も、カテンベの一支援者として、そして人生の深い部分でつながっている友人として、カテンベの将来をとても楽しみに、これからも彼の成長を見つめていきたいと思います。

これまでの長い年月、ずっと寄り添って応援を続けてくださっている皆様に、心からの感謝をお伝えしたいです。
どんな状況であっても一生懸命生きるということ、そして、どんなことがあっても生きることをあきらめないということ、本当に小さくてボロボロの体をしていたカテンベが、身をもって教えてくれました。
生と死のギリギリのところでの闘いの最中、体はボロボロだった彼が、いかに目を輝かせていたか、そして決してあきらめなかった強い意志を、私は一生、自分の魂にもしっかりと刻み付けていきたいと思います。

心からの感謝と共に

早川千晶

*********************************

↓大西匡哉からのメッセージです。


今年高校生になるカテンベから手紙を受け取りました。
宛先は「世界中の僕の友達へ」です。

カテンベは、僕が太鼓の修行をしていたミリティーニ村出身の男の子で、太鼓の師匠であるマテラ長老の甥っ子です。

彼とは様々なドラマを一緒にくぐり抜けて来ました。僕の弟みたいな存在です。
彼は、『生きる事は輝く事』というシンプルで力強いメッセージを、身を持って教えてくれました。
普段は口が達者で、ユーモアたっぷりなカテンベですが、近頃ずいぶん大人っぽく、そしてたくましくなったなぁと感じます。
初めて会った時、体が枯れ木のようにやせ細っていたのが嘘のようです。

手紙を受け取ったのは、彼の高校入学の日でした。新しい制服に身を包んだカテンベが、僕には眩しく見えました。

そんな彼からの手紙です。ぜひ読んでください。


*********************************************
Date:29th-January-2011
From Hamisi Juma Katembe


To All My Friends in The World

I am known as Juma Hamisi Katembe. I was born in the year 1991.
I started experiencing the kidney problem at the age of three. It was
not clear what it was but I really suffered a lot.
I could be troubled by Pneumonia or Malaria and other infections for my
immunity was low.

When I was in class five, twelve years, it become worse. The distance
from our home to school was further therefore I could not walk.
My legs were swelling as my hair was turning brownish. in the night, I
could not see clearly. I could not engage in any activity for I was not
able to run neither was I strong enough.

Sometimes went I left home for school, I could be seen sleeping on the
way for I was exhausted.
This made me to give up on schooling. I was at home for three bad years.
"God was with me" They came friends from Japan and made up their minds
on assisting me.
I did a kidney transplant where my beloved mother gave me the kidney.
This money for the operation was donated by you my true friends in Japan.

You did not stop there but took me to school where I realised my
potential and dreams for life.
I was interested in Music, Drama & Journalism club. I even took my school
to the national levels in music while perfect news caster in Swahili &
English. Time was little as I joined class eight for my final year in
primary. I did my K.C.P.E exams and managed to get a B+.
Meaning: English ; 76 A Kiswahili ; 80 A Science ; 70 B+ Mathematic ; 54
C Social study's ; 68 B . Total 348 B+

That is past.

Now I am joining high school I want to tell all of you my friends that,
if you see me somewhere in future do not be shocked.
I will do Journalism, Drama, Music & Politics. This means that I have to
work hard and smart at the same time in order to achieve what I want in
life.
This means I will join University with an A and combine music with drama.
If I get a nice job, I should be able to buy the drugs for myself and if
possible help the less fortunate in life so that they live happily.

Thanks to you in advance for what you have been doing for me and God will
shower you with his blessings. Please help me more with school fees in
Secondary school and University levels for I need help form you. Giving
or helping is the Heart and Humanity, and not richness. Helping me give
a lesson that I should also help others as per what I am going through.
Please, Please help me with my school fees for education is the Key to
life

Thank you and God bless you

Your faithfully,

Hamisi Juma Katembe.

僕の名前はジュマ・ハミシ・カテンベ、1991年生まれです。
3歳のころから腎臓の具合が悪くなり始めました。腎臓の何が問題だったのかはっきりしませんでしたが、とても苦しんできました。
肺炎やマラリアなど、感染症に対する免疫力がとても低かったのです。

12歳(5年生)のとき、症状はさらに悪くなりました。学校までの道のりが遠く、歩いて行くことが困難になりました。
脚は腫れ、髪の毛は色が抜け、夜になると視力が低下して、良く見えなくなっていきました。
学校行事に参加することもできず、何をするにも力が入らなくなってしまったのです。

通学途中、疲労困憊して倒れているところを発見されることもありました。
こうして僕は学校へ行くことを諦めざるを得なかったのです。
じっと家で過ごした3年間はとても辛いものでした。
でも、神様は僕のそばにいてくれました。日本から来た友人が、力を合わせて僕をサポートしてくれることになったのです。
日本の真の友たちが、移植の手術代を寄付してくれました。そして、愛する母が腎臓をひとつ僕にさずけてくれたのです。

彼らのサポートはそれで終わりではありませんでした。
復学させてくれたおかげで、人生の将来や夢について再び自覚することができました。
学校で僕は、音楽活動、演劇活動、ジャーナリズムクラブに参加していました。
伝統音楽のコンクールでは全国大会にも出場し、
ジャーナリズムクラブでは、スワヒリ語と英語の両方でニュースキャスターも務めていました。

小学校最後の8年生に進級したとき、(今までの遅れもあり)決して十分な時間があったわけではありませんでしたが、
KCPE(ケニア統一試験)でB+の成績を収めました。
(英語76点A、スワヒリ語80点A、科学70点B+、数学54点C、社会68点B、合計348点B+)

これが今までの話です。
今年僕は高校に入学したばかりですが、みなさんが驚くくらい色々なことに意欲がわいています。
小学校でもやっていた音楽・演劇・ジャーナリズムの他に、政治学にも興味をもっています。
これらを成し遂げるためには、懸命に努力しなければなりません。
(訳者註:ケニアでは、課外活動の最も盛んなものが音楽と演劇です)
そして、Aの成績で大学に進学し、ミュージシャンや俳優を目指したいとも思っています。

将来僕が良い仕事につけたなら、自分で必要な薬を買うことができるし、
困っている人たちが幸せに暮らせるように手助けをすることもできるでしょう。
今までに僕のためにしてくださった、たくさんの援助にとても感謝しています。
皆さんに神様の祝福が降り注ぎますように、いつも心から祈っています。
そして今、再び皆さんにお願いしたいのです。高校と大学の学費のために、皆さんの力をかしていただきたいと。
これまでにいただいた支援や寄付も、決して物質的な豊かさからではなく、人間的な愛情や思いやりから生じたものだと感じています。
今後も、(学生生活で)経験していけることだろうことを通して、
僕自身がまた他の人たちに手を差し伸べてあげられるような、そんな学びの機会を与えていただきたいのです。
教育は人生の扉を開いてくれる、僕はそう信じています。
どうか、学費の支援をお願いします。

心をこめて
ジュマ・ハミシ・カテンベ

*****************************************************

2006年の始め、歩く事はおろか立ち上がる事もできなくなっていたカテンベを背負ってナイロビの医者に見てもらった時、
このまま村に返したら、カテンベの命は持ってあと2週間だろうと言われました。
カテンベは貧しい村の出身で、その地域にはカテンベの病気を治療できる病院も設備もありませんでした。

それからナイロビでの闘病生活が始まり、早川千晶さんとともに付きっきりでカテンベの治療をサポートしました。
カテンベは長年腎臓を煩っていました。腎臓は血液を浄化する臓器ですが、カテンベの腎臓はこの時全く機能しておらず、
体中の骨や細胞を蝕んでいました。

僕らの必死の呼びかけに対して、日本では仙台のNPOアマニヤアフリカの協力を得て、全国で募金活動がはじまりました。
ミュージシャンやアーティスト仲間たちは、チャリティーライブや作品の売り上げをカテンベのために寄付してくれました。
雨の中街頭に立って人々に募金を呼びかけてくれた仲間たちもいました。
生活費や学費を削って募金してくれた人もいました。フリーマーケットの売り上げを寄付し続けてくれた人もいました。
ピースボートの船の上、各地の街頭、それぞれの職場や学校、本当に多くの方々がカテンベのために心を砕いて動いてくれました。

こうしてカテンベは2006年10月26日、自分の母親から腎臓の移植手術を受け、全く新たな人生を歩み始めたのです。

体には免疫系という機能があります。体の中に侵入した異物や病原菌と戦う免疫は、
不幸にも移植した臓器を異物と見なし攻撃してしまうのです。
そのため、移植を受けた者は免疫抑制剤を飲み続けなければなりません。
免疫抑制剤は、いわば体の免疫を弱め、移植した腎臓を異物だと気づかせないようにする薬です。
マラリアなどの感染症にかかると、薬で体の抵抗力を弱めているのでとても危険です。
移植を受けた者は衛生面や健康管理にも十分気をつけなければならないのです。
また、拒絶反応の有無、血液中のカルシウムや脂質の濃度、腎臓や肝臓の機能が正常かどうかなど、
細かな検査を定期的にしなければなりません。

カテンベの手術後は、マイシャヤラハ基金を通じて17人ほどのメンバーで毎月1000円~5000円の資金を出し合って、医療費と教育費の両面をサポートしています。目標はカテンベが将来自立して、自分で自分の医療費をまかなえるようになる事です。

学校に復帰したカテンベは、始めは歩くのもやっとな感じでしたが、みるみるうちに元気になって、
階段を2段飛ばしで駆け上がれるまでになった時には本当にびっくりしました。
勉強の方も、苦手な数学や科学はついて行くのがやっとでしたが、得意のスワヒリ語はいつもトップでした。
衛生面なども考慮して、寄宿舎のあるナイロビの私立学校に入っていたのですが、
その学校でカテンベはとても活発にいろんな事に挑戦しました。
大好きなミュージッククラブでは、ソロを歌ってチームメイトたちを引っ張り、
ケニアミュージックフェスティバルの全国大会にも出場したほどです。
当初あんなに苦労していた数学でも、失敗を怖がらずにどんどん自分から手を挙げつづけ、
やがて正解できるようになって、苦手意識を克服しました。

2010年、KCPEというケニアの統一試験を受けたカテンベの成績は348点
B+という驚くべき成績でした。

ところがいい成績を取ったのも関わらず、高校探しは難航しました。
教育省が、公立の学校の生徒から優先して進学させると発表したのです。
これは私立校の生徒たちには不利な決定ではありますが、通常、村などで経済的に困難な生活状況にある公立校の生徒と、経済的に余裕のある私立校の生徒とでは、その条件に大きな差があるため、国民全体の底上げを目指しているケニア政府にとっては、公平を期すために必要な決定でした。
カテンベは、ナイロビで寄宿舎のある州立学校を目指していましたが、ナイロビでは寄宿舎のある学校は少なく、非常に競争が激しく、やっと入学が許可されたのは寄宿舎のない通いの学校でした。
ところが、カテンベの家族はモンバサ近郊のミリティー二村が住まいです。免疫抑制剤を服用しているカテンベには、感染症にかかる危険性がある場所で長期間生活することはできません。
やっとのことで入学が決まった学校は、ナイロビから2時間離れたところにあるパイオニア高校という学校です。
この学校は成績も優秀で、大学進学率も非常に高い高校です。
とても田舎にある学校ですが、校内は明るい雰囲気で、静かで落ち着いたところです。
学費は年間30万円、4年間で120万円です。更にその先には大学進学費用も必要になるでしょう。
カテンベの手紙でもわかるように、彼は意欲に満ち溢れています。
彼はもう子供ではありません。今年の6月で20歳になります。
学費の問題を彼に告げた時、彼自身が自分で手紙を書いて、皆様からのご支援をお願いさせて欲しいと言いました。
彼は人生の目標をはっきりさせています。しかもかなり大きな目標を持っています。
自分の人生設計の話をする時、彼の目はとても生き生きと輝いています。
そんな彼を見ていると、僕もワクワクしてくるのです。

みなさん、どうか彼のこれからの学費を、ご支援いただけないでしょうか。

目標は彼が自分で自分の医療費をまかなえるようになる事です。
医療費は薬代が毎月約7万円です。それ以外にも定期検診や血液検査などがあります。
これらすべてを彼が将来、自分自身でまかなっていくことができる人間になるために、今、さらなるご支援をいただくことができれば、非常にありがたく思います。

学費支援に協力してくださる方は、下記のマイシャヤラハ基金の口座にお振込お願い致します。


振込先: ゆうちょ銀行 記号10070 番号17463211 名義 マイシャヤラハキキン

なお、マイシャヤラハ基金には、複数の支援先があるので混同を防ぐため、振込後下記アドレスまでお名前と支援先(カテンベ学費支援)と金額をお知らせください。(お知らせがない場合は、自動的にマゴソスクールへの支援となります。)


大西匡哉  keep_music@hotmail.com


また、定期支援者も募集しております。
定期支援者の方々には、郵貯銀行の自動送金システムを利用して、定期的に寄付していただいています。
毎月27日に自動送金されるように支援者の方がご設定ください。
詳しくはお問い合わせください。

みなさんどうかよろしくお願い致します。

2011年2月18日

大西匡哉


----------------------------------------------------------
ジュンバ・ラ・ワトトから見たミリティーニ村の風景 (撮影:両角弘夫)
b0167228_10301383.jpg

[PR]
by moro_kyoiku_kikin | 2011-02-19 10:37 | ナイロビ便り

2011年度生無事入学

皆さん、こんにちは!
しばらくスタツアに出ていましたので、メールできなくて申し訳ありませんでした。
昨日ツアー終了しました。
おおわらわで最後の入学手続きをしてきました。
ご報告します。

●ノノ、シェバニ、ピウスの男子3名と、ローズ女子1名が、300点以上を獲得していた生徒でしたので、できるだけ高いレベルの州立高校に入学させてあげたく、ギリギリまで粘り、努力しました。
他の生徒たち(300点未満だった生徒たち)は、1月末にKaani Lions Sec.School に入学しました。
上記の4名に関しても、Kaaniでの席は保留にしておいていただき、それを確保した状態で、よりレベルの高い州立高校をトライし続けました。
第一回目の審査は締め切り、第二回目の審査の枠でなんとか入学許可をしていただけるよう、何度も学校に通いました。
男子校は、Ol Kejuado High School, 女子校は Isinya Moi Girls High School を目指しました。この両方とも、全国レベル的に非常にレベルの高い高校です。

最終結論は、2月9日に出るとのことでした。
その数日前、前日、当日も、マゴソスクールからダン校長とオギラ教頭が早朝から学校に詰めかけ、交渉を続けました。
とても多くの父兄たちがチャンスを狙って詰め掛けており、ごったがえしていたようです。

先に結論が出たのはローズの女子校です。
ここは、ローズの点数では入学を許可できないという結論で、残念ながら、断られてしまいました。
そこでその時点ですぐに、ローズのためにKaaniへの支払いを銀行で行い、その足でローズはKaani に向かい、昨日、2月9日に入学手続きを完了しました。

次に、男子校ですが、ずっと待ち続けていましたが、なかなか結論が出ません。
2月9日の早朝7時からずっと学校に詰めていたオギラ教頭から、昼頃に私に電話が入りました。
ずっと待たされているが、他にたくさんいた父兄たちの中で、すでに却下されて帰されていっている人たちもたくさんいるので、こちらに可能性がないわけではないと思うと、オギラは言いました。
そこで、私に、校長先生あての電話を入れて直接話してもらいたいとオギラは言いました。

そこで私は電話をかけました。
ずっと通話中で、なかなかつながりません。
やっとのことで通じて、校長先生と話をしました。
この高校の校長先生は、はじめてマゴソの生徒を受け入れてくれた2008年初頭以来、非常に協力してくださっている方で、特に、キベラスラムで困難な状況下でがんばってきた生徒たちに対して、愛情を持ってくださっています。

なんとかチャンスをくださらないかと、必死でお願いしたところ、1人だけチャンスをくれるという返事でした。
そこをなんとか、3名、入学を許可してくれないかと、必死で食い下がりました。

話し合いの結果、3名、受け入れてくださることになり、その足で銀行に行き、学費の払い込みをしました。

オギラ先生が入学許可のレターを受け取ってキベラに帰ってきたのは、すでに真夜中でした。

その後、翌日の10日に、朝一番で健康診断、制服などの物品の購入を行い、
そして翌日11日の早朝、つまり今日ですが、彼らはOl Kejuado High School に向かいます。

これまでの成績の実績として、より高い成績をおさめている高校に行くことができると、それだけ、将来のチャンスが大きくなります。

Ol Kejuado High School は申し分ない高校で、彼らにとって最も喜ばしい結果になったと思います。

年明けから今まで、本当に困難な道でした。
皆様に助けていただいて、本当に感謝しています。

2月末に、生徒たちは1学期の中間休みで3日間だけキベラに帰省してきますので、
その際に、石原輝君とダン校長、オギラ教頭、ドナ(ソーシャルワーカー)、リリアンとで、生徒たちとのミーティングをしてもらいます。
私は2月20日から日本に向かうため、残念ながら彼らの顔を見ることができませんが、
石原輝君にレポートと写真のほう、お願いしていきたいと思います。

どうぞよろしくお願いいたします。

早川千晶
[PR]
by moro_kyoiku_kikin | 2011-02-12 20:53 | ナイロビ便り

カテンベ、高校入学!

皆さん、こんにちは。
とっても楽しかったスタディツアーが昨日で終了しました。
私もナイロビに帰ってきたので、これから2月20日に日本に出発するまでまたいろいろ報告していきたいと思います。

1月から2月にかけて、昨年度のマゴソ&ジュンバ卒業生たちの高校進学でおおわらわでした。
マゴソのダン校長、オギラ教頭、ドナ(ソーシャルワーカー)、リリアン、私、マサヤ、アマニヤアフリカの石原輝君、と、総動員で、あっちこっち走り回って10名の進学先を決定させるのに目の回るような毎日でした。

カテンベがお世話になっていたピースジュニア学校の校長先生や先生方、京子ママにも大変お世話になりました。
みんな、子どもたちの将来がすこしでも明るいものになるように、できることすべての力を尽くしてくださいました。

なかなか決まらなくてヤキモキした最後の4名の進学先が昨日、ついに決定。
そして、超特急で昨日、今日と、最後の入学手続きをしてきました。

まずは、腎臓移植手術で皆様からご支援いただいて一命をとりとめ、その後復学することができ、とってもとってもがんばってきたカテンベが、ついに、高校生になり、ピッカピッカの新しい制服で意気揚々と高校入学した姿が、アマニヤアフリカのブログで見れますので、見てみてください。
石原輝君がブログに写真つきでUPしてくれています。

http://blog.canpan.info/amaniyaafrica/

↑アマニヤアフリカのブログの、1月31日付けです。

マゴソOBOGクラブのメンバーたち、ついに人数は45名にもなりまして、
ただいま、長男・長女たちは日本でいう高校3年生(ケニアのセカンダリー4年生)です。
この長男・長女たちは、マゴソスクールがはじまったばかりの頃、幼稚園生(Baby
Class)だった一期生たちです。
昨日、仙台のアマニヤアフリカ理事長、石原お母さんがマゴソに来てくれたときに、マゴソの400名の生徒を前にして、その話をしました。
石原お母さんは、マゴソがはじまるよりも前から、(1998年から)、毎年ケニアを訪れ、私たちをサポートしてくださっているマゴソの子どもたちのビッグママです。
マゴソ幼稚園生、小学生たちにとって、セカンダリースクールに行っているマゴソOBOGクラブはあこがれのお兄さん・お姉さんたちです。
今では高校3年生になった彼らが幼稚園生だったときから、石原お母さんはずっと見てくれています。
マゴソの子どもたち400名を前にして、みんなが知ってるオビリ君やナンシーやインバラが幼稚園のときから石原お母さんはずっと毎年来てくれてるんだよと話したら、みんなからどよめきと歓声と拍手が起こりました。
ほんとにあらためて考えてみると、つくづく、すごいことだなと思うんです。
石原お母さんは今年、68歳になるそうです。(もうすぐ誕生日。)

子どもたちも成長していくし、世の中もどんどん動いていきます。
毎日毎日のいろいろなことを目の前にして必死の毎日だけれども、ふっと立ち止まってみて見渡してみると、毎日がんばることの積み重ねや、時間の積み重ねや、出会いの積み重ねで、こんなにステキなことになっているということに気づきます。

私は今、一番元気をもらえて一番励まされるのは、この高校生たち、マゴソOBOGクラブの面々のエネルギーに触れるときです。
たくさんの夢を持って、彼らは未来への道を力強く歩んでいます。

マゴソ&ジュンバを卒業して、マゴソOBOGクラブのメンバーになるとき、私はいつも、こういうふうに彼らに話します。
昨日までは君たちは子どもだったけど、今日からはもう子どもじゃない。
だから私はもう子ども扱いはしない。
子どもは大人からの保護が必要だけど、子どもが終わって大人になっていったら、こんどは、自分が誰かを助けられる人になるっていうこと。
もう子どもじゃない君たちと、私は一生ずっとお友達でいたいし、家族でいたい。だから、お友達として私のことを助けてもらいたいし、反対に、君たちに助けが必要なときは私も助けたいと思うから、なんでも話し合っていこう。
そして、どうしたらもっとよくなっていくか、アイディアを出し合っていきたいし、みんなで一緒に作っていきたい。
頼りにしているので、私のことを助けてください。

と、こういう話をします。
すると、彼らは顔が変わって、目が変わって、すごく変わっていきます。
そして、頼もしい先輩たち(オビリやトニーたち)にとっても触発されて、影響されて、1学期が終わってキベラに帰省してくると、まるで別人のようにしっかりしてきます。

マゴソOBOGクラブはとってもたくさんの夢を語って、みんなで励ましあって成長していく高校生チームです。
(すでに社会人になった子も2名います。)
私の自慢のチームです。
ぜひ皆さん、会いに来てください!
8月のスタツアと、11月末~12月のスタツアは、彼らとの密な交流がプログラムの中に入っています。
(学校がお休みのときでないと、彼らに会えません。普段はそれぞれの学校で寄宿舎生活なので。)

ではまた他のこともぼちぼち報告していきたいと思います。
動きがいっぱいあって、とっても活気がある最近のマゴソです。
ちなみに、最近のニュースとしては、マゴソにジャーナリズムクラブができました!
前々から、ジャーナリストになりたいと夢を持つ子が出てきていました。
なぜかというと、きっと、ホンモノのジャーナリストの皆さんがマゴソに来てくれて、とても愛情深いいろいろな取材を密にしていってくださったことが刺激になったのだと思います。
今年から、マゴソのジャーナリズムクラブでは、朝礼のときに、キベラの最新ニュースをメンバーたちが発表したり、マゴソ新聞とマゴソマガジンを作ろうとしています。

アートと音楽の活動のほうも、皆様のおかげでますます活発になってきました。

元気いっぱいのマゴソの近況でした。これからもよろしくお願いします。

早川千晶
[PR]
by moro_kyoiku_kikin | 2011-02-12 20:47 | ナイロビ便り

一青窈さんからのメール

皆さん、こんにちは!
とても嬉しくて大感激のメールが届きました。
一青窈さんからでした。
窈さんは2006年にケニアに来てくださって、そのときにキベラのマゴソスクールやツンザ村にも来てくれて、すごく楽しい時間を一緒に過ごし、それからずっと忘れずに、想いを温めてきてくださったのです。

そしたら、なんと今回、ライブで着用した衣装をチャリティオークションに出し、それをマイシャに募金してくださるというのです。

以下ごらんください!

http://hearts-bridge.jp/auction/2011/02/live.html

本当に大感動。
窈さんの気持ちが嬉しくて・・・・

きっとどんなにか悩んだり迷ったりされただろうと思うんです。
きっと、こうして動くことは簡単じゃなかっただろうと思うんです。

本当に心から感謝です。
とっても励まされて、勇気をもらえました。

私も気持ちひきしめて、キベラや村の仲間たちや子どもたち、日本や世界中のたくさんの大切なお友達たちと共に手を取り合って、がんばっていきたいと思います。

どうか皆さん、これからもよろしくお願いします。

早川千晶
[PR]
by moro_kyoiku_kikin | 2011-02-04 19:18 | 千晶のつぶやき