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ンゴロチャン

☆ ンゴロちゃんのこと

こんにちは。スタディツアーから昨日帰ってきました。

この夏休みのスタディツアー、とてもよかったです。
特にマゴソOBOGクラブが夏休み中だったおかげで、彼らと密な交流ができたのが本当によかった。
マゴソスクールやジュンバ・ラ・ワトトで8年生を卒業して、セカンダリースクールや職業訓練校に進学した子どもたちでマゴソOBOGクラブを作っていて、マゴソを実家として学校の休みごとにマゴソに帰ってきて、マゴソを拠点にいろいろな活動をしたり、マゴソスクールを手助けしたりしています。
このOBOGクラブの子どもたちが現在、23名になり、非常に盛り上がっています。
セカンダリースクールでも、ジャーナリズム・クラブに入っていたり、音楽や踊り、スポーツ、絵、カウンセリングやコミュニティサポートなど、様々な活動をとても活発に行っている生徒たちです。自分を表現し、メッセージを世間に伝え、小さな子どもたちの目標になれるように先駆者になろうとしています。
この夏休みは、マゴソ・アートクラブの部長のザブロン(セカンダリー1年生)が中心になって絵画コンペティションを開催。そして、オビリ(セカンダリー2年)やトニー(セカンダリー1年)が中心になって、日本からのスタディツアーを迎えてディスカッションプログラムやキベラの案内などを行い、また、アイルランドからのボランティアの若者たちを迎えて良い交流をすることができました。
そして、今年から制作をはじめた「マゴソTV!」をさらに発展させて、より深いメッセージを伝えるために何ができるかというディスカッションもしました。
トニーが、小さい字でびっちりと、15ページにわたる自伝を書いてきて、非常にびっくりしました。他の生徒たちも、自分の実話のストーリーを書いたり、詩、ドラマなどを書いてきたりしました。これらをさらに磨いていき、何度も書き直したり加えたりしていって、みんなで本を作りたいと思っています。
本という作品を作ることにも意味があるけれども、それ以上に、そのプロセスの中に意味があります。その作業をしていく中で、人間的な成長があり、仲間同士のつながりが強まり、ひとりひとりの意志がはっきりと浮き彫りにされていきます。
それはきっと彼らのことを一生助ける力になると思う。
これから来年にかけて、こんな取り組みをますますがんばっていきたいと思います。
それぞれの学校に帰っても、忙しい寮生活ではあまりない自由時間に文章を書いたり、マゴソTV!の脚本を書いたり、構成を考えたり、新曲を作って練習したりなど、やっていこうとみんな張り切ってそれぞれの学校に戻りました。今週の月曜日から新学期がはじまりました。

マゴソOBOGクラブの会長であるオドンゴ(セカンダリー2年)が、マラリア、腸チフス、そして肺結核と、病気のトリプルパンチで、7月から病気で臥せってしまい、2ヶ月間でとても痩せ細ってしまいました。
9月の第一週にやっと起き上がれるようになり、少しづつですが回復しはじめています。オドンゴは新学期に学校に戻ることができずにとてもかわいそうです。早く学校に戻れるようにがんばって体力つけたいと言っています。痩せ細った姿がとても痛々しくて涙でそうでしたが、夏休み最後のディスカッションには参加できてよかったです。早くよくなるといいなと思います。

学校がお休みのときになると、マゴソOBOGクラブは必ず何度か集会を開き、みんなで話し合いをします。ひとりひとりが発言をして、自分の想いや、抱えている問題などについて語ったり、アドバイスをしあったりします。これがとても活発で、私はいつもこの集会でとても嬉しい気持ちになります。
いつもいろいろと問題を抱えながらも、彼らがへこたれずに工夫して助け合って困難を乗り切っている様子が伝わってきて、関心したり、嬉しく思ったりしています。
今回は、女子10名が入っている学校、カリルニ・ガールズ高校に大きな問題があることがわかりました。この学校は旱魃地帯のウカンバニにあり、とても厳しい状況下の学校ではあるけれども、州立高校でもあり、州立高校であればそんなにレベルが低かったり問題があったりせずにある程度の水準は保っているはずだと信じてこの学校に入れました。私たちのようにスラムのインフォーマルスクール出身の子どもは、ケニアの公立高校にとってもらえるチャンスが少なく、入学にとても不利な条件があります。男子は幸いなことに、教育水準の高い州立高校に受け入れてもらうことができましたが、女子は非常に難しく、特に点数が低かった生徒もセカンダリーに進学できるチャンスを作ってあげたいと願うと、入れてもらえる学校がなかなか見つかりませんでした。それでやっと受け入れてもらえた学校でした。国立高校に入学できるほどレベルの高い生徒も一緒に、全員でその学校に入りました。
ところがそこで現在、もうこの1年以上は歴史の先生が不在。そして今年からは数学の先生も不在。今学期からはさらに化学の先生も不在になるというのです。月に1回だけ、日曜日に学校に来るだけだといいます。なぜかと聞くと、その先生たちは大学に入ったので学校で教えることができないと。だから生徒たちは自習をしているという。それを学校側に問いただすと、ウソをついて逃げる。そして校長が逃げて父兄に会わない。そんな状態が続いています。州立高校であってもこのレベル。そしてどこにもこの抗議をあげて聞いてもらえるところはありません。それがいやなら父兄側が改善する努力をするのではなく、学校を変わるしかないという。
少しも改善が見られないので、学校を転校することに決め、いま、総力あげて学校探しをしているところです。これが非常に難しい。特に女子の場合。でもあきらめずに、次のスタツアと日本ツアーが始まる前になんとしてでも転校先を確保したいと思います。
こんな状況でも女子たちはとてもがんばっており、夏休みの間は毎日、マゴソで補習を受けていました。高校を卒業して大学入学を待っているリリアンの弟のジェイが補習授業をしてくれています。

お休みが終わって学校に戻っていく生徒たちに、英語の本を2冊プレゼントしました。男子に1冊、女子に1冊で、それをみんなで回して読み終わったら、男女でとりかえっこしてまた回し読みする。ということで、マゴソOBOGクラブが読んだら良さそうな本をどんどん与えてあげたいと思っています。最初に与えたのは、まずは男子に、シエラレオネで捕まって少年兵になり、内戦で戦わされ、のちに保護され少年兵としての洗脳をとかれてからあと自伝を書いた「僕は少年兵だった」という本、そして女子に、ルワンダで家族みんなが虐殺され、自分自身は小さなトイレに7名で3ヶ月間隠れて生き延び、生き延びたからには伝えなければと書いた自伝「Left to
Tell」(邦題忘れましたが、日本語の翻訳本も出ています)を渡しました。マゴソOBOGクラブはこれをとても喜び、読む気まんまん。これから次々と、どんな本を渡していこうかと私はとてもワクワクしています。読ませたい本がたくさんあります。

職業訓練校に受け入れてもらってパネルビーティングを勉強しているツンザ村出身のンゴロちゃん。ンゴロちゃんのことはスタツア参加者なら覚えている人は多いでしょう。私が天才少年ンゴロちゃんと呼んでいる男の子です。ツンザ村で、ひとりでせっせと小人の村を作り、非常に高度なミニチュア建築の制作をしていた少年です。
彼は小学校を卒業したときにすでに19歳で、卒業時の全国統一試験の結果ではとても点数が低く、とても進学できるレベルではなく、しかも家はとても貧しく、進学など到底できないレベルでした。でも私は、あの厳しい環境で、彼がとにかく小学校を続けて卒業するまでがんばったということはとてもすごいことだと思うし、そして何より、彼のまじめで誠実な性格や、長男として家族を助ける心、そしてのんびりした気質の中にある独特なユーモア、などなど、ンゴロちゃんのことをとても評価していてとても大好きでした。そして彼にはきらりと光る才能があると思う。勉強もできないしバリバリと活躍するタイプでもない、けれども、ンゴロちゃんならではの個性があり、そして、地味だけれども彼のうちに内在している「とても良いもの」があるのをずっと感じていたので、ンゴロちゃんにマゴソOBOGクラブに入りたいかと聞いたら入りたいと。そして、今年のはじめにンゴロちゃんはツンザ村からキベラにやってきて、そして3時間くらい離れた場所にある職業訓練校に入りました。
これは、その1年前に、あるNGOを運営されている方が、マゴソスクールの卒業生を受け入れたいから私の推薦で1名でも2名でも連れておいで、費用はすべてめんどうみますよ、と言ってくださったことによります。とてもありがたい申し出で、私たちは、2008年にはムセベニを入れていただきました。が、ムセベニは、先日お知らせしましたように非常に残念な形で亡くなりました。2009年には、マゴソスクールでとても成績が悪いけれどもずっと困難な状況でがんばってきて非常に性格も良いムテイを受け入れていただき、そしてさらにンゴロちゃんを受け入れてもらったのでした。

ンゴロちゃんはとても喜んで学校にいっていました。ド田舎からやってきた彼にとって、めんくらうことばかりだったでしょうが、彼なりの努力で彼なりにがんばっていました。休みのたびにマゴソに帰ってくるたびに、マゴソOBOGクラブのミーティングで、ンゴロちゃんも面白おかしくいろいろなお話を聞かせてくれたのです。その学校はある宗教をもとにしているので毎朝と毎夕にその礼拝があるのだけれども、その独特な礼拝にも、ンゴロちゃんは神様はおんなじだからといって参加することを楽しみながらやっているようでした。2学期目からは、ンゴロちゃんが参加しているコースの先生がやめていなくなってしまい、そしてなぜか教室もなくなってしまい、学校側にどこで勉強したらいいかと聞いても無視されていたのだけれども、クラスメートたちと協力しあって、近所のジュアカリ(路上職人)に交渉し、車の修理やパネルビーティングなどの技術を教えてもらうことをとりつけ、ただ働きで手伝わせてもらいながら無料で教えてもらうということをしてサバイブしてきたということで、どんなに困難な状況でもあきらめないで工夫すれば、何か道があるものなんだと夏休みのマゴソOBOGクラブ会議で発言して、みんなから拍手喝采を得たのでした。

このンゴロちゃんも、月曜日に、いきようようと学校に帰って行きました。学校に帰る直前まで、この学期に必要な本を買わなきゃいけないからと、それを熱心に探して、やる気まんまんだったのです。
ところが私がスタツア中の今週の木曜日、ンゴロちゃんが学校から帰されてきました。紙を一枚持ってきました。その紙には、学校に戻りたかったら32000シリング持ってきなさいと書いてありました。
これは何かの間違いではないか? だってンゴロちゃんは無料で受け入れてもらっている生徒のはず。大きな学校なのでいろいろ混乱があって何かの手違いがあったんだろうと思って、お世話になっているそのNGOの代表の方にお電話しました。
そうしましたら、このように言われました。ンゴロはとにかく覇気がなく、最初からさいさん注意をしたのだけれどもまったく改善が見られない。早川さんの推薦だからということでおおめに見て受け入れてきたけれども、これでは支援をすることはできない。いまうちには孤児の生徒たちを100名以上受け入れていて、孤児でありながらやる気があり優秀な生徒がたくさんいる。ンゴロは覇気がなく態度が悪く注意しても改善が見られないので支援を受ける対象としてはどうも・・・。覇気がないという注意は本人にも何度もしているし、父兄会のときにマゴソの先生にも何度も言っているけれども改善が見られないので。 という話でした。
わかりました、申し訳ありませんでした。と私は言って、電話を切り、そして考えました。
ンゴロちゃんはやる気が見られないので支援するかいがない、価値がないと判断されて、学費を払えば受け入れてあげるということで32000シリング持ってきなさいということでした。
(でも、お電話で話をしていて、例えば半額でもいいですよ、と言っていただき、この方のこのご厚意にはとても感謝しています。)

それにしても、いったん受け入れた生徒を、こうやって紙切れ一枚で打ち切るというのはどんなもんだろうか、と思うと、とても悲しい気持ちになりました。ケニアではこれはよくあることでもあり、仕方のないことかもしれません。でも、ンゴロちゃんがやる気がなくてできない子だから、援助の対象からはずされて切り捨てられるのは仕方のないことなのだというふうには私には思うことができません。

でも、「貧しい国の孤児を援助する」というのは、援助をしている側にとっては、より優秀な子どもを援助したく、よりバリバリとやる気があり「できる子ども」を援助することで「援助のしがいがある」「効果が高い」「結果が出る」ことが大事で、そうでなければ援助の対象からはずされてしまうということは、一般的に考えて、当然のことなのかもしれませんね。
やはり、支援者もそれを期待するでしょうし、支援者(出資者)との間に入っている運営者の人々にとっては、そのへんのプレッシャーもあることでしょう。(私を信じてンゴロを受け入れて支援してくださったのに、期待にそえなかったことは本当に申し訳なく思います。)

でも私が思うのは、ひとりひとりの子どもに接していると、その子どものそれぞれの事情や個性や持ち味のようなものがあり、できる子もいればできない子もいる、表現できる器用な子もいれば不器用な子もいる。自分ががんばっていることややる気があることを上手に表現できない子もいる。でもその奥にある心やたましいの良さというものを私は一番見たいし評価したい。
不器用で結果を出せない子もたくさんいます。けれども、その子が実は他の小さな子に一番愛情をかけてめんどうをみている子だったりすることもある。
せっかくご自分の大切なお金を出して支援をしてくれている支援者にとって、そのお金が最も効果的に使われ、効果があがって結果が出てくることを期待するのは当然のことかもしれません。でも私は、たとえ目に見える結果が出ないことであっても、大切なことがたくさんあると以前からずっと思っていて、でも結果が出ないというのは支援者の人に納得いく説明ができない、だから私自身も支援を受けるということに対してずっとかなりの抵抗感を感じて、長年の間、素直に支援を受けることができずにいました。
いわば、優秀な人間かどうかということよりも、どういう生き方をするかということや、どういうふうにまわりの人間と接して付き合って一緒に生きていくのかということのほうを私は重視しているので、優秀じゃないし上手にできないけれども良い心や気持ちを持っている子どもたちも一緒に仲間としてみんなで歩んで行ければいいなと思うのです。
むしろこれまでにも、とても優秀でバリバリとできるけれども支援を受けて学校を卒業していったら自分の人生のみを向上させていくことにしか興味がないような人もいろいろと見てきて、なんだか悲しい気持ちがしていました。
でもンゴロちゃんの場合、支援してくださった方を「ンゴロはダメなやつ」だと失望させてしまった。そうやってせっかくご支援くださった方を失望させてしまったことには、ンゴロにもンゴロの問題があるので、それは反省しなければなりません。だけれども、ンゴロのンゴロなりの良さや、バリバリとではないけれどもなかなか表面には出てこないけれどもンゴロのうちにひめているやる気や良い心というものを、否定したくありません。
というわけで、私はまだスタツア中で忙しかったのでマサヤにお願いしてンゴロちゃんとの話し合いをしてもらい、そして私はリリアンと話し合ってンゴロの今後について話し合いをしました。マゴソに寄宿しながらキベラの路上修理工に弟子入りして学ぶ形をとるのがいいかなと思っています。
そして、これからもこういうケースがずっと出続けるでしょう、私は、成績優秀じゃなくて他にはどこにも行くことも受け入れてもらうこともできないような子どもたち、なかなか理解してもらえないものを持っている子どもたち、社会の一般的な価値基準では切り捨てられてしまいがちな小さなものたちもみんなでのろのろとでも向上していけるチャンスを作りたい。
なのでいっそのこと、これからマゴソスクール内にそういう子どもたちのための職業訓練コースを作ろうと決めました。
いますでにリリアンの洋裁教室はあるので、あとは、男の子たちのための大工と修理工と溶接のクラスを作ることにしました。
ンゴロは、その第一号として、彼ががんばって学んでいったら、こんどは彼が先生になって教えることができる日がくるかもしれないですね!
昨年から購入しているマゴソの周辺長屋が、おそらく、今年の終わりにはテナントの皆さんが別の住まいに引っ越しすることができ、大改築工事をはじめることができると思いますので、その中に、職業訓練ができる設備を作りたいと思います。

なかなか自分の内面や想いを表現できない子どもたちがたくさんいますが、彼らはいま、だんだんと、絵を書いたり、文章を書いたり、語ったり、歌ったりしはじめています。
その子それぞれに、それぞれの向き不向きがあり、やり方があり、ペースがあります。
うまくできる子もできない子も、活発な子も不器用な子もいろいろだけれども、マゴソは、ここでみんな仲間で、みんなが家族で、みんなが生きていける場になるといいと思う。
それぞれの役割や持ち味を生かせる場になったらいいなと思う。
すごいことや立派なことができなくてもいいから、良い人間として生きていける、評価されることができなくてもいいから、地味でもいいから良いエネルギーを発して生きていける場になるといいと思う。そんなみんなの憩いの場になるといいと思う。
やっぱり人生も社会も厳しくて、甘えていたら生きてはいけないけれども、ンゴロちゃんがいい子だっていうことはマゴソではみんなが知っていて、みんながンゴロちゃんのことを大好きです。
なんだかうまく言えませんが、昨日は涙が出て出てしょうがなかったですが泣いていても仕方ないし、誰が悪いわけでもない。これまで支援してくださったその職業訓練校を主宰している方が悪いわけでもないし、これまで支援してくださってチャンスをくださったことにもとても感謝しています。でも、折り合えなかったポイントがあった、これは仕方のないことなのでしょう。
それならば、ますます、私たちは私たちの大事にすることを大事にして、私たちのやり方でマゴソを作り続けていきたいです。子どもたちも自らが自分たちが主体になって作るマゴソです。
ンゴロちゃんがこれからどういう人生を見出していき、どんな展開をしていくか、とても楽しみです。また報告していきますのでどうかンゴロちゃんの今後を応援してください。
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(早川千晶)
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by moro_kyoiku_kikin | 2009-09-12 21:14 | ナイロビ便り

ムセベニが亡くなりました

☆ 2008年のはじめに職業訓練校に入り、最初の交通費をご支援いただきましたムセベニが、非常に残念なことに亡くなりました。


とても悲しかった出来事を書きます。
あまりにも納得できずやりきれない出来事なので、胸におさめておくよりは書いたほうがよいです。
覚えている人もいるかもしれない、2007年にはじめてマゴソスクールの卒業生が出ました、その中のひとり、ムセベニ君が、先週、亡くなりました。
今遺体はまだシティモーチャリー遺体安置所にあります。
マゴソOBOGクラブがはじめてできたときのあのメンバーのひとりです。
現在セカンダリー2年生のジョージやオビリやインバラの同級生です。

あの年の卒業生は10名で、そのうち2名は全国統一試験の結果がかんばしくなかったせいでもう一度8年生をやり直すことになりました。
残り8名のうち、6名はセカンダリースクールに進学、2名は職業訓練校に進学しました。ムセベニは、そのひとりでした。

ムセベニがチャンスを得たのは、エンブにある、ケニア天理ソサエティの塩尻さんが運営している職業訓練校です。そこで完全支援を受けることができる生徒として、受け入れていただくことができました。
彼は、そのチャンスをとても喜んだのです。

ムセベニは、キベラと路上を行ったり来たりしていた元ストチルでした。
家族がいないわけではありません。実の母親はいませんでしたが父親と義理の母、そしてたくさんの異母兄弟たちと共に暮らしていました。
とても貧しかったけれども、父親はしっかりした立派な人です。

でも彼は路上とキベラを行ったり来たり。路上に出て行っては、また父親に連れ戻されます。

マゴソスクールにやってきてからも、何度も失踪しました。
失踪しては連れ戻されてきて、先生たちが何度も指導していました。
マゴソの先生たちはみんなキベラ育ちのキベラ生活者たちなので、スラムの男の子たちのこういう問題はよく知っています。
そういうクセのある子に、なぜ路上に出て行ってしまうのか、と言っても、本人もわかるわけではありません。
スラム暮らしの周りに充満しているのは、貧困のストレス、狭苦しい長屋部屋にぎゅうぎゅうづめに押し込められる息苦しさ、犯罪やドラッグなどの誘惑、子どもを利用して儲けようとする悪い奴ら、などなど、生き馬の目を抜くといってもいいような善や悪が背中合わせのギリギリの暮らし。
親がどんなにがんばってしっかり子どもを育てようとしていても、朝から晩まで働き続けなければ食べるものが得られないその日暮らしの親たちは、子どもを24時間監視できるわけではありません。むしろ、子どもの食料を得るために必死で、夜明け前から日が暮れるまで汗水たらして働いているんです。
そういうスラムの必死の暮らしから、ボロボロと、男の子たちは抜け落ちていくことがある。親はたいてい、非常に悲しみますがどうしようもなかったりする。

それでもムセベニは、マゴソがとても好きだったようです。勉強は苦手だったけれども、マゴソには音楽があるから、楽しかったんだと思います。ひょろっとした大きな体に似合わないような小学生の制服を着て、マゴソに来ていました。楽しく過ごしていたし、受験を目の前にした8年生のときにはみんなで将来の夢も語り合ったんです。

受験の成績は学年で一番悪かったけれども、エンブの職業訓練校に入れてもらうことができて、本人はとても喜んで張り切っていたのです。
それなのに、1年ももつことができませんでした。
学校の寮に、兄と称する人物がやってきて、叔父が死んだので葬式があるからと言って連れて行った、と学校の人から言われました。
そのままムセベニは、行方不明になりました。
2008年の春の頃だったと思います。

父親は、それを聞いてとてもショックを受け、必死で探しました。
どこにいたかというと、ギャングのたまり場です。
彼を学校から連れて行った兄と称する人物は、兄ではなく、チンピラの兄貴分のような人でした。

そういうキベラのクサクサしている若者たちを、誘惑して洗脳して連れて行き、そういう若者たちを使って犯罪をおかさせて儲けるギャングの組織があります。
ドラッグや酒で頭をおかしくさせて、銃を持たせ、武装強盗や車泥棒などなどの前線に行かせ、彼らにはわずかな分け前を渡し、大きく儲けているギャングの組織があるらしい。

そういうところに連れて行かれる男の子たちは、小学生。まだたった11歳や12歳や13歳や、15歳前後のそんな男の子たちです。まだ何も世の中を知らない。まだ何も知らないけど大人になりかけている、そしてちょっと危ないことが魅力的にうつるような年頃。そして親はとても貧しい。貧しすぎてろくに食べ物も得られない。いつもおなかがすいている。

そこのギャングチンピラたちの仲間に入ってしまったと知って、リリアンが最初に言った言葉は、「ムセベニは死ぬわよ。」
まさか、と思ったけれども、リリアンの顔がマジでした。
そして、「もう私たちにはどうにもできない。」と言いました。

誰が来ても絶対にムセベニを行かせないでくれと、父親とマゴソスクールの先生以外には誰にもムセベニを連れていかせないようにしてくれと、なぜもっと強く学校に言っておかなかったのかと、何度もリリアンやお父さんは悔いていました。
でもどうしようもなかった。学校の先生方は、その兄と称する人物を疑いようもなかったようでした。

そしてムセベニは、先週、死にました。
武装強盗集団のひとりとしてどこかで強盗を働いているときに警察と銃撃戦になり、そしてあっけなく虫けらのように死んだと。

強盗の前線に行かされる若い子たちは、使い捨てのコマです。
連れて行かれる貧しい男の子たちは、いくらでもいる。

私と匡哉が5月から日本に行っている間に、マゴソスクール7年生のアチャチャが、失踪して行方不明になり、結局ムセベニと同じギャングの仲間に入っていると、7月にケニアに帰ってきてすぐに聞かされました。

アチャチャは、とてもとてもかわいい男の子で、スタツアでキベラに来た人たちは覚えている人も多いはずです。
5年生のときに、音楽大会の全国大会に、たったひとりで、ソロで、出場しました。
高いボーイソプラノで、独唱を歌ってナイロビ大会で優勝したんです。

どうにかしようがないの、なんとか連れ戻して、キベラから遠いミリティー二村のジュンバ・ラ・ワトト(私たちの子供の家)に連れて行ったらダメなの、と私は言ったのですが、リリアンは険しい顔。

どうにもならないかもしれないけれど、キベラの私服警官で私たちがいつも仲良くしている警官たちに相談して協力してもらい、探し出して連れ出してくることができるかトライしてみようとリリアンは言ったけれども。。。


今週の水曜日、マゴソOBOGクラブのミーティングをした。みんな、目をキラキラさせながら、学校生活についての報告をひとりひとり。そして次の学期の抱負や、11月末から予定している「マゴソTV!」ロケの計画などについて大盛り上がりで語り合った。

そんなキラキラの輪の中に、ムセベニだって、アチャチャだって、何かが一歩違えば、いることができた、紙一重だった、背中合わせだった・・・ と思うと、本当に悲しい。

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       早川千晶
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by moro_kyoiku_kikin | 2009-09-01 21:17 | ナイロビ便り